武雄市北方町医王寺
熊野神社社務所
本務社と兼務社
武雄市北方町内 神社本庁包括神社 奉斎
本務社:熊野神社
兼務社:青幡神社
若松神社
大渡天満宮
永池天満宮
富吉神社
海童神社
玉垂宮
杉岡神社
稲主神社
八幡神社
樋口神社
御祖社:橘柚社
医王寺
熊野神社
鎮座地:
武雄市北方町大字芦原5804番地
御祭神:
伊邪那美命 いざなみのみこと
速玉男之命 はやたまのをのみこと
事解男之命 ことさかのをのみこと
大山祇命 おおやまつみのみこと
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
保食神 うけもちのかみ
市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
建御名方神 たけみなかたのかみ
多岐理姫神 たぎりびめのかみ
多岐津姫神 たぎつひめのかみ
沿 革:
養和元年紀伊国熊野権現分祀
元亀年中大友氏兵火遭 焼失
薬師如来像(焼薬師)
慶長十二年多久長門守安順公再建
享保年中現宮殿造営
安政四年現本殿造営
大正二年七月神饌幣帛料供進指定
平成四年現幣殿拝殿造営
御祭日:
歳旦祭 一月一日
元始祭 一月三日
祈年祭 二月二十八日 (はるまつり)
例 祭 四月二十九日 (こもい)
夏 祭 七月二十九日 (ぎおん)
中 祭 九月一日 (かざごもい)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十九日(あきまつり)
斎火祭 十二月二十七日 (おひたき)
大 祓 十二月三十一日
月次祭 毎月朔日、十五日
芦原
青幡神社
鎮座地:
武雄市北方町大字芦原5924番地
御祭神:
河原左大臣源融
かわはらさだいじんみなもとのとおる
菅原道真公 すがわらのみちざねこう
受持神 うけもちのかみ
豊玉姫神 とよたまひめのかみ
沿革:
大治二年正月九日源久其祖融を山城郷(現西松浦郡)に勧請し青幡大明神と號す
其後、裔山城虎王丸源貞に至り、秀吉の命を受け本領は松浦豊前守に譲り、自身は幼少の故を以て三百町の扶助を受け、龍造寺隆信に預けられ、芦原後藤貴明の居城に移る
天正15年青幡大明神(源融)分霊現社地に奉祀
御祭日:
歳旦祭 一月一日
祈年祭 二月十七日 (はるまつり)
例 祭 四月九日 (こもい)
夏 祭 七月三十一日 (ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十二月九日 (あきまつり)
月次祭 毎月朔日、十五日
椛島
若松神社
鎮座地:
武雄市北方町大字芦原681番地
御祭神:
伊邪那岐命 いざなぎのみこと
平清盛公 たいらのきよもりこう
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
沿革:
杵島郡長島荘医王寺住僧静覚法師平重盛仏門帰依して下向せし際故ありて静覚法師と医王寺に住居後現在の椛島に重盛の御霊勧請祭祀
御祭日:
歳旦祭 一月一日
祈年祭 二月十八日 (はるまつり)
例 祭 五月一日 (こもい)
夏 祭 七月三十一日 (ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十三日(あきまつり)
月次祭 毎月朔日、十五日
蔵堂・永池・喜佐木
富吉神社・永池天満宮
鎮座地:
武雄市北方町大字大渡2794番地
武雄市北方町大字大渡1871番地(永池天満宮)
御祭神:
宇賀魂命 うかのみたま
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
大山咋神 おおやまくいのかみ
水波能賣神 みずはのめのかみ
猿田彦大神 さるたひこのおおかみ
市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
沿革:
天保七年九月九日佐賀藩崇敬社二十四社内一社
大正八年十一月十三日神饌幣帛料供進指定
須古庄六角郷橋下郷二ケ村聰社(永池天満宮)
御祭日:
<富吉神社>
歳旦祭 一月一日
新年祭 一月七日
祈年祭 三月七日 (はるまつり)
夏 祭 七月三十一日 田祈祷祭(ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十五日 (あきまつり)
<永池天満宮>
春 祭 五月十日 (はるまつり)
夏 祭 七月三十一日 (ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十二月二十五日 (あきまつり)
月次祭 毎月朔日、十五日
祈願祭 四月一日 交通安全祈願
大渡
大渡天満宮
鎮座地:
武雄市北方町大字大渡3324番地
御祭神:
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
沿革:
天保七年御国二十四社内一社
御祭日:
歳旦祭 一月一日
祈年祭 二月二十五日 (はるまつり)
夏例祭 七月二十五日 (ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十五日(あきまつり)
月次祭 毎月朔日、十五日
焼米
海童神社
鎮座地:
武雄市北方町大字志久4305番地
御祭神:
豊玉彦命 とよたまひこのみこと
豊玉姫命 とよたまひめのみこと
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
保食神 うけもちのかみ
市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
天照皇大神
あまてらしますすめおおみかみ
大地主神 おおとこぬしのかみ
沿革:
往昔神功皇后武内大臣と共に三韓を征せむとして此地に幸行ましける時二神奉斎
風雨の和順海路の安全祈願
天正年中龍造寺長信領地雨乞祈願所
當社はもと焼米溜池の上方にありし
寛政十二年溜池起工際現社地に移転
明治四十年神殿拝殿改築
大正九年拝殿を中殿と改築、拝殿新築
明治六年村社
御祭日:
歳旦祭 一月一日
新年祭(一月二日)
元始祭 一月三日
祈年祭 三月二十三日 (はるまつり)
夏 祭 八月二十三日 (ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十三日(あきまつり)
大祓い 十二月三十一日 (おひたき)
月次祭 毎月朔日、十五日
焼米
玉垂宮
鎮座地:
武雄市北方町大字志久4738番地
御祭神:
高良山玉垂宮 こうらさんたまたれのみや
豊比咩命 とよひめのみこと
沿革:
古息長帯姫命三韓を征伐たまいんとして行幸ましける時皇后を始め奉り武内大臣此所に立寄りて六石の上に休息坐ける折しも一人の老父煎った米を献上しかば甚く悦びまして是は焼米の都と宣ひける是より地を焼米と云ひ其の休み給ひし石を後に武雄大神を齊ひ奉ることとなりぬと云ひ傳へらる
御祭日:
秋 祭 十二月十五日(おひたき)
追分・掛橋
杉岡神社
鎮座地:
武雄市北方町大字志久993番地
御祭神:
伊弉諾尊 いざなぎのみこと
伊弉冊尊 いざなみのみこと
沿革:
寛文八年多久長門守藤原寛矩社殿建立
宝暦十四年多久長門守茂再建
明治四年秋参籠所新築
御祭日:
歳旦祭 一月一日
祈年祭 三月二十四日
春 祭 五月十四日
夏 祭 七月十四日 (ぎおん)
風神祭 九月一日 (かざごもい)
例 祭 十月十九日 (くんち)
神嘗祭 十一月二十四日(あきまつり)
木之元・高野
稲主神社
鎮座地:
武雄市北方町大字志久3281番地
御祭神:
倉稲魂命 うかのみたまのみこと
木ノ元氏霊神 きのもとのうじのみたま
沿革:
寛文三年多久美作守茂辰神殿改築鳥居建設
三本笠鉾七囃浮立毎年九月九日奉納
弘化元年領主命九月二十九日に変更
明治十二年八月村社
大正十一年二月郷社
大正二年九月二十七日海津見神一柱祭神合祀
御祭日:
新年祭 一月三日
祈年祭 三月十九日
例 祭 四月十九日
夏 祭 七月十九日 (ぎおん)
風 祭 九月一日 (かざごもい)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十三日(あきまつり)
火焚祭 十二月八日 (おひたき)
北方・西杵・馬神・久津具
八幡神社
鎮座地:
武雄市北方町大字大崎1753番地
御祭神:
神功皇后 じんぐうこうごう
応神天皇 おうじんてんのう
天照皇大御神 あまてらしますすめおおみかみ
彦火火出見命 ひこほほでみのみこと
事代主神 ことしろぬしのかみ
大山祇神 おおやまつみのかみ
大地主神 おおとこぬしのかみ
海津見神 わたつみのかみ
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
沿革:
神功皇后行幸より注連張石祠建立皇后奉斎
建久五年十一月多久太郎宗直応神天皇合祀
天正元年二月龍造寺隆信弟長信と協力し武雄の城主後藤貴明と戦い続て須古の地頭平井経治と戦い共に此の社地に砦を築き之に依て大いに勝てり是を以って神璽加護の致す處と為し社殿改築
大正九年六月拝殿改築
明治十二年八月村社に昇格
祭神天照大神他六柱合祀
御祭日:
歳旦祭 一月一日
祈年祭 三月二十七日 (はるまつり)
夏 祭 八月一日 (ぎおん)
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十七日 (かんまち)
除夜祭 十二月三十一日
東宮裾・西宮裾・杉岳・白仁田
樋口神社
鎮座地:
武雄市北方町大字大崎4518番地
御祭神:
橘諸兄 たちばなのもろえ
天照皇大御神 あまてらしますすめおおみかみ
保食神 うけもちのかみ
市杵島姫神 いちきしまひめのかみ
多岐理姫神 たぎりびめのかみ
多岐津姫神 たぎつひめのかみ
大地主神 おおとこぬしのかみ
少彦名神 すくなびこのかみ
樋口命 ひのくちのみこと
武内宿禰 たけうちのすくね
菅原道眞公 すがわらのみちざねこう
藤原時平 ふじわらのときひら
沿革:
文明元年十一月十五日橘諸兄勧請
大正十一年十月全改築
明治十二年八月七日村社昇格
祭神天照皇大神外八柱合祀
御祭日:
歳旦祭 一月一日 (新春祈願祭)
祈年祭 三月二十五日 (はるまつり)
夏 祭 九月一日 (ぎおん)
例 祭 十月一日
供日祭 十月十九日 (くんち)
新嘗祭 十一月二十四日(あきまつり)
御祖社
橘柚社
鎮座地:
武雄市北方町大字芦原3030番地
佐賀県郷土教育資料集(昭和十年六月十日発行)782頁783頁に記載されています。
「森日向は杵島郡橋下村熊野神社の祠官で、名は清貞、日向と號す。」と記し始められています。次に写真『橘柚社』が掲載されています。写真の碑は現存し現在の熊野神社社務所の奥に今なお祀られています。続けて読んでいけば「・・・城下松原小路御鷹屋の西北空地の貸興を願ひ、此處に苗木を仕立てて、一般山林業者に無償で配布した・・」とあります。また「自家の山林を開墾して、之に蜜柑を栽培し、遠く之を長崎港等に移出したので、芦原蜜柑山の名は・・・當地方に於ける蜜柑の元祖なりと・・・」と続き、「それのみならず、日向は温泉地の将来を慮り、その温泉背後の丘陵を手入れして、桃、藤、躑躅、石楠花等の観賞用樹を栽え込み、以て今日櫻山公園の基礎を拵へ、さらに柄崎神社をも創祀して、温地無窮の守護を祈祝せるが如き、その一生は殆ど公益の為に没頭した。」末尾に「天保十三年(壬寅2502)三月二日没した。現在橘柚社としてその祭祀を絶たない。」とあります。
御祭日:
歳旦祭 一月一日
御祈願
御神札
お守り
御朱印